2026年9月30日。兵庫県某所。
本日は、先日まで続いた長雨が嘘のような澄み渡る青空が広がっている。気温は20度前後。とても過ごしやすい。夜には星も綺麗に見えることだろう。
今日、WEST.が12年間続いたグループ活動を終了する。
グループとしての活動を終了すると言われてから1週間。悲しみが追い付く間もなく、その短い時は一瞬で過ぎた。
この1週間、私はWEST.の情報をあえて見ないようにしていた。どんな感情になるかわからなかった。私も一人の社会人だから、自律して人生を歩まなければならない。一つのリスクヘッジでもあった。
いざ迎えたWEST.最終日。目を覚ますと気持ちの良いくらいの青空が広がっていて、まろやかな朝日が差し込んでいた。なんて良い日なんだろう。WEST.が幕を閉じる日とは思えなかった。その気持ち良さのまま身支度を整え、仕事を始めた。頭もすっきりしている。最高の1日だ。
13時。メールBOXを開いた。届いていたのは「WEST.ファンクラブに関するお知らせ」。
途端に寂しさと悲しさが込み上げてきた。紛れもない事実を、すっぴんに近いほどすっきりとした頭で受け取った。今日の23:59にファンクラブが終了し、それに伴う対応が記載され、最後にお礼の言葉が幾層にも重なって丁寧に綴られていた。本当に終わるのだと、嫌でも理解できるほど丁寧なメールだった。
溢れる涙は止まらなくて、心地の良い秋風ですら攫えなかった。どうしてこんなにも心地の良い日が最終日なんだろう。雨で少しでも気持が落ち込んでいたなら感情をごまかせたかもしれないのに。誤魔化しようが無く、悲しくて寂しい。あべのハルカスでデビュー発表した日は曇天で、デビュー10周年の日は雨で、初めてのフェスだって雨で足元がドロドロで、ついこの間の唯一無二の千葉公演も台風が来てて大騒ぎだったのに。グループに幕を降ろすこんな日が気持ちの良い晴天だなんて。でも、不器用でもがきながら歩んできたWEST.らしいなとも思って、少し面白かった。
2008年、私は『ごくせん3』で中間淳太さんに出会った。一目惚れだった。こんなにかっこいい王子様みたいな人がこの世界にいるんだと思った。しかし、当時小学生で、地方住み、家族もオタクでは無かった私は、中間淳太さんの推し方を知らず、遠くで見守るだけだった。
2012年、関西ジュニアを好きだということを知った友人のお母さんにお誘いいただき、Johnny's World感謝祭 in 大阪に行った。東京公演では出演していなかったB.A.D.をはじめとする関西ジュニアが大阪公演には出演していた。私が初めて淳太くんに会ったのはこの時だった。スタンドで少し距離はあったけれど、とてもキラキラしていたことを覚えている。
2013年、年末。家族と毎年恒例のジャニーズカウントダウンを見ていた。すると突然「デビューします!」と淳太くんたちが出てきた。すごくびっくりしたし、とても嬉しかった。淳太くんがやっと報われたんだと思った。だけど、そこにいたのは4人だけで、濵田くんや7WESTの二人がいないことにすごく違和感を感じていた。
2014年、7人でのデビューが決まった。『ええじゃないか』のCDが全国に並んだ。このCDは私が住んでいた田舎にも並び、「記念に買おうかな」とバイトをしていない学生身分ながら思ったことを覚えている。
2019年、私の一つの青春が幕を降ろした。かねてから応援していたグループからセンターが抜け、大好きなメンバーが日に日に弱っていった。ちょうどその時、我が家も両親が離婚をし、精神状態が危なかった。寝ても覚めても暗闇にいるようだった。そんな時に中間淳太さんに再び出会った。
ちょうどこの時、周りの友達も関西ジュニアに担降りしていたころで、私も関西ジュニアに降りたら一緒に楽しめるなと思っていた。光を探すように関西ジュニアを漁った。ら、漁りすぎて2012年頃までさかのぼっていた。2012年頃は私がドンピシャで淳太くんメロメロ期だったので、当たり前のように再び一目惚れし、狂うように淳太くんとジャニーズWESTを見漁った。そして、直近大阪でライブがあることを知った私は立ち見のチケットを譲ってもらい、急遽ジャニーズWEST 2019 LIVE WESTV!!に参戦した。
私が参戦したのは2019年2月10日 昼公演。DVDにMCが収録されている公演だ(※本編は夜公演だが、MCだけ昼公演になっている)。日付を見た人も、DVDを見た人もどちらも気づいたかとおもうが、この日は淳太くんの入所日だった。それをメンバーにタコいじりされ、淳太くんがプリプリしていた。大好きなMCだ。
私はこのMCを見てぽっかりと空いた穴が埋まっていく感覚を感じた。私は、好きな人が愛されていて幸せなことが何より嬉しい。いろいろなことが重なり失われていた暖かいところが、その光景で温度を取り戻していった。そして、その日の挨拶で神山くんが「このメンバーで5年、10年、何十年先もやっていきます」と宣言してくれていた。安心感のあるその言葉に、私は魅かれていった。
2019春、新曲がリリースされた。メンバーが各所のインタビューで「『アンジョーヤリーナ』がおススメだ」と言っていた。B面だったその曲は目立たないけど私の心を照らしてくれた。私の秘密の宝物だった。
2019年夏、突然グループで VS嵐 に呼ばれた。そんなこともあるかと思っていたら、その日に 番組終わりにワールドカップバレー2019 の大会スペシャルサポーターにジャニーズWESTが就任したことが告げられた。理解の追い付かないまま、生まれて初めてスポーツ観戦のチケットを取った。大会の初日だった。
何もわからないまま向かった横浜アリーナ。オープニングセレモニーで登場するジャニーズWEST。その日は眞子さまも来場されており、その眼前で『Big Shot!!』をパフォーマンスするジャニーズWESTが眩しくて仕方が無かった。
9月には広島へ行った。大会最終日だった。会場の大きなモニターで流れる『Big Shot!!』のバルーンを使った振り付け講座に、サポーターであることをアリアリと感じて嬉しかった。その日は最終日ということもあり会場の熱気が途轍もなかった。ジャニーズWESTもその熱に呼応するように全員が立ち上がり応援していて、この人たちなら日本を盛り上げられると確信した。
この時、生まれて初めてCDを積んだ。初週売上20万枚はないとドームは厳しいという情報を見て、絶対にドームに立ってほしいという思いで、Big Shot!!のCDを何枚も買った。そして、特典のトレカをバレーボールの会場にいた近くのバレーボールサポーターの方に配った。懐かしい。
生まれて初めての番組協力もジャニーズWEST、淳太くんだった。地方に住んでいたのでなかなか申し込むことも無かった番組協力にこの時初めて申し込んだ。申し込んだのは淳太くんの誕生日近くのヒルナンデス。2019年10月21日、淳太くんの32歳の誕生日に、その当選メールが届いた。淳太くんの誕生日をお祝いするため、大阪に赴き聖地巡礼などをして、帰っている電車でそのメールを見た。乗り換えの直前で見てしまったから、焦って乗り換える電車が分からなくなってしまったなあ。それから、急いでバイトのシフト調整をして、迎えた当日前夜、夜行バスに乗って東京に向かった。この時、すきなアイドルの誕生日も直接お祝いするという実績も解除した。
冬になって、年末のMステスペシャルでドームライブが発表された。東京と大阪の2都市。この上なく嬉しかった。24魂以来の、アルバムをひっさげたドームライブ。これから売れる予感がした。
そして迎えた新年、コロナ禍に入った。外出自粛を余儀なくされ、誰もがどうすればよいか感じていた時、『証拠』がリリースされた。誰もが誰とも触れることなく、自分を見失いそうになる時に、自分を肯定してくれた一曲。今となっては色々言われているけど、私はやっぱりこの曲が大切で、宝物だ。この時も、「ジャニーズWESTが見つかった!売れる!」と思った。
この時、私はバイト先から呼ばれる数少ない労働者だった。そのため、外出自粛をよぎなくされる中でも比較的外を歩くことが多かった人間なのだが、その時にジャニーズWESTを聞くのが好きだった。誰もいない夜のさびれた商店街を『証拠』、『アンジョーヤリーナ』を聞きながら歩くのは、何者にでもなれる気がしてとても好きだった。
2021年春、私は大学を卒業した。上京も決まっていて、入学当初から付き合っていた彼氏と遠距離になることが決まっていた。そんな時にリリースされたのがアルバム『rainboW』だった。リード曲『Rainbow Chaser』は私達の背中を強く押してくれた。そのお礼をレコメン!にメールで送った。これも生まれて初めての事だった。私が住んでいた地域では1時間しかレコメン!が聞けなかったからあまり聞いたことが無かったけど、卒業してすることも無かったのでその日はたまたまラジオを付けていた。初めてレターが読まれた。環境が大きく変わっても社会人頑張ろう、と思った。
まだまだ沢山幸せはもらっているもので、ジャニーズWEST 2021 LIVE rainboW宮城公演で初めて確定ファンサをもらった。「淳太くんはイエベ?スケベ?」といううちわに対し、淳太くんは丁寧にまろやかな笑顔でスケベを指した。皆様、数年前にバズりましたイエベスケベの人、私です。
この頃、アンジョーヤリーナが見つかり始めたり、リア突WESTが全国放送になったり、メンバーが立て続けに舞台に出たりと大忙しで売れてきたなと実感していた。
ただ、その一方で私は慣れない環境での社会人生活、リモートワークで人に会わない生活、入社早々に発生した会社でのゴタゴタと心に余裕がなくなっていった。気づけば、キラキラしたものを見ると「そんな風に生きられないな」と思うようになっていた。
2022年、それでもライブには行っていた。2021年中止になってしまったメトロック、1年越しにジャニーズWESTが出演した。前述したが、この日は雨でコンディションは良くなった。しかし、ジャニーズWESTの出番になった瞬間、雲の切れ間から陽が差し込んだ。奇跡みたいだけど、納得もできた。厚い雲に覆われていても太陽を呼び込むようなそんな人たち、それがジャニーズWESTなんだと思えた。
その次の日、Mixed Juice新潟公演だった。新潟公演の会場は体育館のように狭く、一体感の生まれやすい会場だ。このライブから声も出せるようになり、メトロックで温まった身体は溜まった熱を120%放出して会場を揺らした。私はこの時のライブ程、アツいライブは無かったと思っている。
夏にはドームツアーが開催された。この時、ジャニーズWESTきっかけでできたお友達と遠征をして沢山の思い出ができた。今は応援するグループが違っても仲良くしてくれるお友達ができたのも、ジャニーズWESTのお陰だった。
だけど、やっぱり精神的に追い込まれていたうえに、ロック路線を踏み出しはじめていたジャニーズWESTにいろんな意見が飛んでいて、私はジャニーズWESTをまっすぐ見ることができなくなっていった。私の後悔はずっとここにある。もっと、自分の好きにまっすぐに、周りが見えなくなるくらいに夢中になれたらよかったなって。アイドルを消費だけしてしまった感覚が今でも拭えない。私の弱かったところ。ずっとまっすぐに応援できなくてごめんね。
それでも、最低限CDは購入して、ライブには足を運んでいた。嬉しいこともあった。『Rainbow Chaser』に背中を押されたもう一人の人間である彼氏であり現在の旦那がジャニーズWESTを好きになってくれたことである。10年弱寄り添って、初めて生まれた共通の趣味だった。のんべえ散歩が好きらしい。
2024年、WEST.に改名した彼らはデビュー10周年を迎えた。熱も落ち着いていたから、純粋に楽しむだけだと思っていた。が、アリーナ公演、ドーム公演、どちらも参戦した全公演号泣した。同じ都市で2回入ったりもしたが、全部泣いた。同行者がびっくりしてた。
淳太くんが苦節乗り越えデビューを掴んで、デビューしてからも順風満帆ではなかったけれど、10年続けてレッドカーペットを歩いていることが本当に嬉しかった。淳太くんならどこでだって生きていけるのに。アイドルという道を選んで、苦しくても続けてくれた。淳太くんがこれからも幸せでありますように、永遠にこの幸せが続きますようにとただただ祈った。
2026年9月30日、本当に今日で終わってしまう。
淳太くんに永遠に続いてほしいと願った大きな幸せのかたちが、ここで終わってしまう。どうしようもなく悲しくて、寂しい。
だけど、どれだけ考えても誰が悪いとも思えない。私も自分の幸せのために、生きたいように生きている。1週間前から今日だって、4年前から今だってそう。皆が幸せになるために生きた方が良いと思っている。人間だから考え方だって、幸せだって変わっていく。それが歪みになって綺麗だったものが見られない形になるくらいだったら、そこで宝箱に仕舞うのだって愛だ。勇気がいる決断をしてくれて本当にありがとうね。愛だね。
見方を変えれば、ジャニーズWESTは今は経験できないあの時のアツい記憶として、"本当の青春"になったんだと思える。そう、私のアツい感情はジャニーズWESTと共に刹那に会って、青春だったんだ。
この急展開で、色々と社会に影響を与えた事象に対して「ありがとう」と言ってよいものか少しもやもやも抱えていた。だけど、社会に対しては散々メンバーが頭を下げているから、私は沢山の幸せをもらった身としてWEST.に淳太くんの背中を押していきたい。その背中を押せるのは、幸せをもらった人間にしかできない。
WEST.、そして淳太くんへ。
これまで沢山の幸せをくれて本当にありがとう。間違いなく、私の為人の一部を形成し、私の人生の一部です。私の一部がWEST.、淳太くんであることは間違いなく私の誇りです。その事実は消えないし、いつか道に迷うときは立ち止まって光り輝くその一部を眺めるでしょう。
これからどうなるかもわからない状況で、グループをたたむ決断を下すことはとても勇気のいることだったと思います。それでも、宝物を綺麗なまま宝箱に仕舞う決断をしてくれて本当にありがとう。その愛がまた私の宝物です。
宝物は仕舞って居るだけではもったいない。いつかそれを取り出して眺めるときがくるでしょう。いつか、7人ともそんな時が来たらまた一緒に歌って踊ってください。その宝物を磨いてください。誰も咎めません。宝物は磨かれてなんぼですから。
私は私のために、ここで淳太くんとは道を違います。だけど、ずっと幸せを願っています。淳太くんに出会ってから、私は中学生、高校生、大学生、ついには社会人です。結婚もして、地方に住んでいたのに、関東を経て、今は淳太くんの出身地兵庫県にいます。これほど長い時淳太くんのアイドル人生を見られたんだなあとしみじみ思います。それだけ見ていたので、淳太くんならスーパースターになれると自信を持って言えます。世界で一番かっこいい人です。間違いありません。ずっと大好きです。
沢山の幸せをくれた7人へ、この先も幸あれ。
これまでありがとう。そして行ってらっしゃい!
見直したらまとまりがないし、何言いたいのか全然分かんなくてワロタ!まあ、これも私の今のありのままが現れてるってことで!そんな今の自分を抱きしめます!